今日からは
ダンディ! クール! アダルト!
そんな男を目指して行こうかと思います、めっちゃ唐突に。
なんだか何に大してもビクビクしてるのなんてみっともないし、俺もいい歳でガキじゃないんだから安定した人間になりたいと思って、それだけです。
別に何か変わるわけじゃないですが、心意気変えるだけで気持ち楽になりますから。とりあえずは、まともに職を付けるか死ぬかしないとな。ニートは非クールですから。
俺は俺自身が他人に対して興味の薄い人間だとは自分では思いません。もしかすると、他人から見れば関心を持たない人間に見えるかもしれませんし、逆にやたら執着してくるヤバイヤツに見えるのかもしれません。
わかりませんが、とにかく興味はありますし、友人や恩人であれば恩返し、ではありませんが同じように、若しくはそれ以上に力になってあげたいという感情も抱きます。
僕は自己の所謂「波長」が他人のそれと完全に一致するということは絶対にありえないことだと思っているので、力になるということの真意を理解できないのです。
例えば、何か大きな問題に悩んでいる相手を見て、その問題の捉え方、感じ方、理解のし方はそれぞれ違う訳じゃないですか。それで的外れな「答え」的なモノをこちらが考えて掲示したとしても、それが的外れな見解である以上悩みは解決されないし、助かりもしない訳ですよ。それは助けになっているかなんて問題ではなく、最早重荷でしか無いです。無駄に気を使わせて、僕は相手の問題を余計に重たくしてしまうのです。
こんなふうな考え方をしていると、最早何をしていいのか、何をするのが正解か、それが分からなくなって結果何もしない、何も助けない、何の役にも立たない。これが望んでいたことか?そんなわけがない。助けたい、でも分からない。
こんなのって、何なんですか。なんで人ってみんな同じじゃないんですか。むしろ僕が、みんなと全く同じ生き物ならどれだけ生きるのが楽だったか、幸せであると感じていたか。
僕は他人を完璧には理解できないし、他人もまた僕を完璧には理解が出来ない。結局誰しもが孤独感を拭えず、誰にも支えられずに生きるしか無い。あんまりじゃないですか?これが甘えであると言われるのであれば、甘えない方法を知りたいです。これは皮肉ではありません、文字通りの意味で知りたいのです。
無意識に溢れ出る後悔と焦りの感情。
おたんこなすです。
上記の通り、考えないように、気が付かないように、そう思っていても突如として自分の状況が焦らざるをえない、後悔を抱かざるをえない、行動しなければ間に合わなくなってしまう、そんな風に思い出してしまうものなんです。
これは生存要求からくる防衛本能なのだろうか、理由など掘り下げても何の意味も無いが。
本当の所、生きたくて生きたくてしょうがないのですが、生きるためには労働を伴うじゃないですか、労働の苦痛に、その程度の痛みすらも耐えられない人間は生存資格すら持ち得ないので無いでしょうか…。
ホームレス、それが俺にとってはもしかすると最も生きやすい方法なのかもしれない。なんて最近は思っています。勿論ホームレスの生活を舐めているわけではありませんが。
首を吊ろうとする時、何が怖いのかというと本当に死んでしまうという恐怖、扉吊りしか出来ない環境下なのでそれを行える場所がリビングと洗面所しか無いのですが、その時リビングであればペットの兎がずっとこちらを見ていること、洗面所であれば首を吊ろうとしている自分が嫌でも目の当たりになることです。
幽霊といえば、何のことだか分からない人の方が今や少ないと思う。
オカルトでは最もメジャーな存在であり、日本では妖怪と呼ばれている場合も多い。種類も豊富で、幽霊を題材にした映画、アニメ、漫画、小説、果てはアダルト作品など無数の作品が作られている。
さて、幽霊という存在について、僕が昔から考察していた1つの説がある。ググっても意外に当てはまらないのでもしかすると意外な発想、或いは最もありえない考えなのかもしれない。その説というのが
「幽霊は他人の脳に干渉、擬態、及び透明化が可能な生物である」
という仮説である。
僕がこの仮説に行き着いた理由の1つに父の話す、「幽霊の姿にはある程度テンプレがある」という話である。
単純な話だ
「性別は♀が多い」「手や足などの一部分のみが見えるor映る」「目の前にただ立っている」「髪は長髪でカラーは黒が多い」など。
これが一体どこからの発祥であるのかは僕は知らないが、少なくともこのパターンに属すタイプの体験談、ビデオ、写真などはかなりの数を締めているのでは無かろうか。
これはイメージが固定化されることにより、”幽霊”を目撃した人間がイメージする”幽霊像”を脳の干渉を媒介に視認させているのでは無いだろうか?と考えた。
また、相手を驚かせる行為は相手への威嚇とも取れる。これは廃墟や夜の墓など、比較的人が立ち寄らない場所を寝床及び縄張りにした”幽霊”が行っているものと考える。また、夜に目撃されるイメージが強いのは夜行性だからでは無いだろうか。
これはかなりゆるい考察であり、矛盾点がまだまだあるかもしれない。他には、他国の生物兵器及びその試作生物であるという考察も考えたがこんな太古から目撃されているのにそれはどうなのか、という疑問を感じた。
恐らくそれは…完全なニートになることです。将来を考慮し、バイトやハロワ通いをやめて最早何も考えない毎日を送ることです。
時が経てばやがて恐怖することも無くなり、あれだけ恐ろしかった社会進出や両親が亡くなった後の未来を考えなくなります。
恐怖心や不安が無くなれば人は心の平安を手に入れます、平安は幸せなのでこれが本当の幸せです。永続性というものはそもそも幸せには存在しないモノ、どの人間にも言えることですが幸せはやがて終わるものなのでこの幸せに永続性が無いのも当然。
詰まるところ、幸せは考えないことなんですよ。何も考えないのが幸せです。なのでこれから僕は何も考えずにネトサと将棋してるだけの人間になります、ソレ意外はもう要らないです。
どーもー。
最近ちょっとずつ涼しくなってきましたねぇ。とはいえまだまだ昼間の暑さには厳しさを感じますが。
就職の件ですが全く進展しないだけでは無く、更には就職を諦めつつあります。アルバイトでコツコツお金を貯めて、夢の淡路島生活を企てていましたがアルバイト一日目でヘタれてやめてしまいました、たはは。
さて、やはり僕のような人間はコンビニ夜勤とかが丁度良いのかもしれませんね、あの睡眠感覚がおかしくなって眠いのに眠れなく現象は精神的にもキツイ所があるのでアレさえ無ければ喜んで深夜勤務をするんですけどね。
どうせうちの地域はコンビニバイトの募集ばかりなので本気で探そうと思えば見つかるとは思います…が、コンビニエンスストアは正直もう二度とやりたくないですよね。はは。
ファミ◯ーマートのようなワンオペ夜勤はもう怖いので二度とやるつもりはありません。やるにしても二人体制、これは絶対です。確かに一人である気軽さ、余った時間をバックでTwitter見ながら潰せるという利点はありますが業務における不安を感じる事が最も恐ろしいので却下ですね。
さて、少し気になっているアルバイトが深夜勤務の警備員ですが、募集がなかなか見つかりません。少し都会の方に出れば無くもないですがね。
今日のところはここまでにしましょうか、将棋の棋書を買ったりもしたのですがちょっと書くのもめんどくさいので追々ということで。