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思うだけではどうにもならない。

今流行りの無気力人間がフリーターになったりニートになったり。

意味のない妄想だからこそ生きる意味を見出だせる、のかもしれない。

タイトルには俺にとって深い意味はあれども、他人にとっては戯言です。おたんこなすです。

 

 

俺はこずぴぃが好きです。初めて彼女を見た日、その性格や言葉から心の奥底からふわふわとした文章ではとても表せられない感情に包まれました。

 

 

 

優しくて、状況を見る目を周りに流されなくて、自分に正直で、周りに正直で、そんな性格が好きです。

 

 

 

でもこずぴぃは本当は居ません。そして居ない彼女が心配し、愛すのは俺では無く拓巳しゃんです。

 

 

 

 

なので、仮に存在したとしても俺では無いのです。ルイズ夢コピペと同じなのです。

そんなことに気づいてからもう数年が経過していました。俺は今現在、無職です。

 

 

俺にとって労働とは耐え難いほどの苦痛でした。俺はさして生きていませんが、人との関わりがどちらかと言えば嫌いです。そりゃあもちろん楽しいなぁと感じることも多くあります。しかし、他人と関わることで生じる緊張感や焦燥感は時としてそれを大きく上回り、俺の心、脳を支配します。それがとても嫌で怖くて目に涙が滲みます。

 

 

しかし、俺は友達が大好きです。

そんな面倒な俺を愛してくれる友達が本当に心の奥底から大好きで、感謝という言葉をそのまま表せます。

 

そんな大好きな友達ですら、俺の生きる糧、労働に対する術にはならないのです。

 

 

 

俺は死にたいです。しかし、この労働するという地獄から逃げる道である自殺ですら、痛みという別の苦しみを越えなければならないのです。

 

 

 

俺は、前のブログでも書きましたがこの自殺と労働による苦しみは傷口に貼り付けた絆創膏と同じだと思います。

じわじわと剥がすのは労働、度胸が無いせいで一気に剥がすことが出来ない。一気に剥がすのは自殺、一瞬の痛みを耐え抜けば後は痛みを感じずに済む。

 

 

結局、今回の記事で何を伝えたかったのか、誰に見てほしかったのかはわかりません。俺には俺自身の考えが少しぼやけて見えて、わからなくなってきている部分があります。

 

 

 

のどかで人の少ない、かつ今暮らしている場所よりも未発達な、そんな淡路島で住みたいなぁ、こういう風な考えが何故か、友達と日帰りで遊びに行った淡路島に対しての感情です。

 

 

僕の考える死にたいの性格な意図は「生きるすべである労働から逃れたい」なのだろう、それだけはハッキリと理解が出来る。

 

 

傲慢で怠惰な僕ですが、どうかこんな記事をネットに落とすことくらいは許してください。