沼底

その名の通り、沼の底。電波の霧が濃い為読み手を選ぶ。脳をおかしくしたくない方は読まないのが懸命です。

自己と他者

俺は俺自身が他人に対して興味の薄い人間だとは自分では思いません。もしかすると、他人から見れば関心を持たない人間に見えるかもしれませんし、逆にやたら執着してくるヤバイヤツに見えるのかもしれません。

わかりませんが、とにかく興味はありますし、友人や恩人であれば恩返し、ではありませんが同じように、若しくはそれ以上に力になってあげたいという感情も抱きます。

 

僕は自己の所謂「波長」が他人のそれと完全に一致するということは絶対にありえないことだと思っているので、力になるということの真意を理解できないのです。

 

例えば、何か大きな問題に悩んでいる相手を見て、その問題の捉え方、感じ方、理解のし方はそれぞれ違う訳じゃないですか。それで的外れな「答え」的なモノをこちらが考えて掲示したとしても、それが的外れな見解である以上悩みは解決されないし、助かりもしない訳ですよ。それは助けになっているかなんて問題ではなく、最早重荷でしか無いです。無駄に気を使わせて、僕は相手の問題を余計に重たくしてしまうのです。

 

こんなふうな考え方をしていると、最早何をしていいのか、何をするのが正解か、それが分からなくなって結果何もしない、何も助けない、何の役にも立たない。これが望んでいたことか?そんなわけがない。助けたい、でも分からない。

 

こんなのって、何なんですか。なんで人ってみんな同じじゃないんですか。むしろ僕が、みんなと全く同じ生き物ならどれだけ生きるのが楽だったか、幸せであると感じていたか。

 

僕は他人を完璧には理解できないし、他人もまた僕を完璧には理解が出来ない。結局誰しもが孤独感を拭えず、誰にも支えられずに生きるしか無い。あんまりじゃないですか?これが甘えであると言われるのであれば、甘えない方法を知りたいです。これは皮肉ではありません、文字通りの意味で知りたいのです。