沼底

その名の通り、沼の底。電波の霧が濃い為読み手を選ぶ。脳をおかしくしたくない方は読まないのが懸命です。

やれやれ

中学生くらいの時は余裕があってね、具体的にはまだ先がある余裕だった。一三歳だとすれば二十歳まで七年もある。七年は長い印象があったからそれを余裕だと感じていた。

 

 

 

小学生から中学生までの自分は現代社会で鬱になり、死ぬ人が不思議で仕方がなかった。

 

僕は人に手を差し伸べるのが好きだった、それで相手が救われれば「相手を救えた」という記憶が僕の存在意義になったような気がしたからだった。

 

その頃の僕はこんなふうに、沢山じゃなくても身近な人に手を差し伸べて、力になれなくても一人じゃないんだよと孤独をかき消せたら幸せになれるかなぁ、なんて思っていた。本当は自分が一番寂しくて、構ってほしかったけどそれはあえて口に出さないようにした。

 

 

 

今になって思う、人は手を差し出せる程余裕のある人生を送ってないんだと思った。僕は今、例えば目の前に辛い思いをして、死のうとしている人間が居ても何にもしてあげられない、現状を変えてあげられない、気休めと変わりないことしか言えない。

 

僕は気がつけば自分の存在意義が分からなくなっていた。当の自分が死にたいと思っているなんてお笑いだと思った。