おたんこメモリー

おたんこなすな人生だ

滑稽な備忘録

ここ数日間は特に顕著といえる、絶望というものは些細なことで蓄積されるものだ。

蓄積は決して他者からもたらされるものとは限らない。というのも、自分も自分の仕事のできなさにほとほと愛想が尽きていた節がある。それはもう毎日怒られるものだ、己が悪いことは明白であるにも関わらず、解決できなかったのだ。

全くの無力ではなかったかもしれない。
一つ一つ手を打てば、或いは絶望する必要はなかったかもしれない。

逃げ出した今、帰る場所の無い自分からしてみればそれはもう終わったことと言えるが。

終わりとはどのような事を言うのか。
どうしようもない孤独か、生きていくために必要な仕事を投げ出したことか。

なんにせよ、少なくとも自分にはもう帰る場所などどこにもないのだ。

自業自得

という言葉があるように、己で巻いた種であった。甘えていた、自覚が欠けていた。

全て職場の先輩に言われたことだ。
曰く、自分はサボりすぎだったらしい。頑張っている自分に酔っているだけの無能、それが評価だった。

自分は決して、最善を尽くせているとは思っていなかったし、最善とはなにかもわからなかった。
タイミングの問題か、責任者が自分しかいない店舗で行う業務や営業は穴だらけで、クレームの嵐。
本部からも提出物の期限がとうに切れているといくつもお達しをもらっていた。

勿論、先輩に毎回毎回聞けば良かったのだ、それが正解だった。
ただ、電話するたびに期限の悪い先輩が怖かったし、怖いという自己の都合により仕事を遅らせていることも大概酷いものであった。

自分の文章には何が伝えたいのか、何を言いたいのかまったくもってわからない。お前はなんだ、お前はどういう人間だと聞かれた。

何故仕事をしない、何故サボる。
何故後回しにする。

その問に対する答えはわかっていた、「怖かった」のだ。

先輩に、一度だけ聞くのが怖かった、恐ろしかったと伝えたことがある。

その時の先輩は
「俺はお前がなにかやらかした時以外怒ったか?なぁ?怒られたくなかったらきっちり仕事こなせ」
と言っていた。

ああ、たしかにそうだ。自分がミスや仕事の遅れを生むからこそ先輩は怒っていたんだ。
でも、こうやって質問をするたびに怒っていたことも事実だ。

これは甘えや自己中心的考え方に等しいため、正義だなんて言えたものではないが辟易としていた。

自分は、逃げ出した。
死ぬつもりだったが、今こうして文章なぞ打ち込んでいる。

死ぬ、怖いがこれから先の人生怒られながらも成長していく自分の姿は見えなかった。
職場に行く時だけではない、心休まらぬ生活が己の卵豆腐じみたやわい心では持たなかったのだ。

薬もオーバードーズに使い切り、もはや手持ちはなかった。
病院を予約もできていなかった、する気力も時間もなかった。
本当に時間がなかったのだ。

家に帰り、風呂にも入らずに眠り。
朝起きればシャワーを浴びすぐさま職場へ行く。

これは仕事ができない人間からすれば当たり前だったようで、自分も決して一人で予習復習している時間が嫌だったわけではない。
ただ、純粋に、単純に、意図など無く、疲れた。

自分はこれから、インターネット掲示板で知り合った身元も顔も年齢すらも知らぬ誰かの家に行く。
そいつがおかしな輩であれば、殺されるかもしれない。拷問でもされるかもしれない。

怖いが、あの家と職場に戻るのはそれ以上に恐ろしい、ただそれだけのことだった。


結局自分の人生は、あいも変わらず逃げて逃げて逃げて逃げて…。
その果に何があるのか、とっくに知っているくせに。


自分は、情けなく、そして会社や親や友に迷惑を掛ける明確な「悪」である。


悪は裁かれるものだ、裁かれる日もそう遠くはないだろう。
これは、逃げた自分に対する戒めと備忘録を兼ねた文章。

結局のところ、先輩の言ったとおり自分は何を伝えたいのかもよくわからない、l口先だけの空っぽな言葉を並べているに過ぎなかった。それはこの文章のみならず。Twitterやブログ、恐らくチャットや業務メールに至るまで全ての事柄に言えるのであろう。

自分の死にたいだって、嘘だ。
ただ、生きたくないだけだ。

さようなら。