こんばんは
おたんこなすだよ
今日は朝から区役所に障害者手帳の更新に行って、その後ちょっと大きい大学病院に行きました。現状かかりつけの精神科が無いので問題が無ければそこが今後通う事になる病院となるみたいです。
今年は急に廊下でぶっ倒れたり、市販薬依存の回復の為に入院したりと養父さんにめちゃくちゃお金の面で支援してもらってます。いえ、以前から生活費や病院代を払ってもらっていたのでずーっと迷惑は掛けっぱなしなのですが、その件についてお互いに話し合う事なく過ごしてきました。
今日の夜、(金パブの力で)二人で話し合いました。以前お友達と遊ぶ為にお金を借りた事を感謝している事や平日仕事を休んでまで私の通院を手伝ってもらってる事、生活全てを助けてもらってる事への感謝とか色々話しました。
最近の私は腕がズタズタになるまでリストカットしているのですが養父さんはそれを見て「件の友人と遊んでからリストカットをしているのでそこに何か影響を受けたのでは」と決して私の友人を疑う訳じゃ無いが可能性としてある、という事を話してくれました。
私は、「これは自身で決めたことで、友人は関係ない」と言いましたが他から見ればそれが本当かどうかはわからない、結果的に遊んだ後に切り刻んでいるのが事実である以上本当は関係あるのではないかと疑ってしまう。友人が大切なら尚更、家族の目線から見た時に友人が疑われないように過ごすのは私が友人を守る為に必要な事だよ、と教えてもらいました。リストカットはODへの抑制であること、同時に自身がちゃんと病気なのだという事実を可視化する為に行っていると説明しました。
養父さんは対等に、それ以上に家族として理解してくれました。私が如何に恵まれた立場なのか、『家族』として見てもらえているのかが分かりました。勿論ここに至るまでお互いに不干渉であったし、養父さんは私を嫌っているとも言っていました。だから、私を家族だから助けるという言葉には疑念を抱いて居ましたが、それは違いました。人は考える生き物、考えは時に大きく変わります。養父さんは私を家族だと認めてくれて、そして手助けをしてくれたのです。だから私自身も養父さんを家族として、支え合ってくれる理解者として、信じる事にしました。
これが結果的にどうなるのかはわかりません。ただ、自分がこれから生きていこうと思う上で手助けしてくれる存在が居ることがどれほど心強いか、そう思います。
友人と共に生きること、これを第一にその支えとなる家族の存在を私はありがたく思います。
以上おたんこレポートでした。