おたんこメモリー

おたんこなすな人生だ

人付き合いが人生においてそれ程重要でないような気がしてきて

久しぶりに記事投稿です。

 

ここ数ヶ月掛けて考え方にかなり変革を起こしたんですけど、その中でも今まで(生きてきた21年間ほど)一切考えなかった事があります。

 

それは友人関係の断ち切りです。

正直に言ってしまうと、最早純粋に友人認定出来るような知り合いは居ないのですが、居たらすみません。で、なんだかもう誰かに心を委ねて不安定になる効率の悪さも気になり始めてたんです。

 

しかも軽く扱っていて問題点として浮かびにくかった事に「友人関係への悩みによる躁鬱スイッチ切り替え」が度々あった事も挙げられます。単純に一緒に居て楽しくない、などもありますね。

 

そもそも考え方の軸を大きく変えたと言える部分として今までは

「人は誰もわかりあえない。だけど、わかりあいたい。」

と思っていた部分を

「孤独とは、息を吸って吐き出すのとまるで同じ位当たり前にあるもの。それは呼吸を辞められないのと同じように、変えられないもの」

と希望を持たないようにしたことです。それによって、完全に一人で良くなってしまいました。

 

で、大きな問題があって、そうなると途端に「友達要らないどころか最早邪魔だな…」となってしまい…。自分の時間を取れないので負担に感じるようになりました。

 

さて、自分としてはこの人達との縁を切りたいのですが思想改革前は最も大切にしているものだったので少し躊躇があります。

 

他にも、もし相手が悲しんでくれたらそれはそれでやだなぁと思ったり。暴力振るわれそうなのも怖い。

 

どうすればいいのかな、悩み中です…。

意味ある逃避行

うぇーい、ぉたんこなすびでーす

 

結局逃げて、逃げた先で警察に捕まって(両親が失踪届出してた)

実家でのうのうとしてます。

 

今、自分がどういう気持ちで生きているか。

 

焼肉屋になる夢、諦めそうになって、挫けそうになりましたがこれを書き込んでいる今でも心の中になにか引っかかるような、諦めたくないような、そんな気持ちも残っています。

 

それなのに、自分は恐れてアルバイトに逃げ込みました。今はコンビニのアルバイトをやっています。

本当は、そうじゃ駄目だと思うんです。

 

また社員を探して、飲食店での経験をもっと積むのが近道。そう思うのです。

 

 

諦めたくない、それと同時に芽生えた感情もあります。恐怖です、社会人になる前に味わっていたものとは違う、もう一つ上の恐怖がまとわりつくようになりました。

それは自分の弱さで、立ち向かわなければ夢は敵わないものなのに、怖くて仕方ないです。

 

それは、

「自分が全力で頑張っても、届かないこと。各々が出来ていることが、自分はどれだけ全力を出そうとも出来ないこと。デスクワークでも、店長でも、アルバイトの扱いでも、何をとっても不十分でお店への貢献が出来ないこと。」

 

知りませんでした、自分がここまで出来ない人間な事を、自分は知らなかったです。

今までは駄目な人間だと思いつつも、本当は「頑張れば人並みにはできる」と思ってました。努力とは、そういうものなのだと。

 

でも現実は違いました。

自分は人よりも劣っている人間だと、明確に知りました。

 

私生活において、プライベートな時間を喫煙、食事、入浴、睡眠のみに絞って残りの時間は自宅で勉強、出社時間の5時間前には店舗に着き勉強。

 

やっては見ましたが、駄目でした。

覚えても覚えても、覚えるスピードも量も常人以下だったんです。

そんなことではどんどん書類は増えてゆく、上司に怒られる。

アルバイトに見下される。

 

一番辛いことは、お客さんに「こんな店は最低だった」と言われることでした。

 

 

今、書いてて思いましたが思い返すとやはり心が痛いです。

本当に痛いのは、お店を運営している会社なのにね。人の心って不思議です。

 

自分は加害者で

会社は被害者で

 

 

でもそんな事以前に

それよりももっと大事なことに

 

 

それでもこの仕事が好きかどうか、ですよね。

 

 

好きなんです。

 

 

 

 

 

逃げるにしても、アルバイトでお金をためて資格を取ろうと思います。資格は、将来確実に生きるからです。この時間を、逃避を、無駄にしちゃ駄目です。

逃避してバカだったなぁ、だけどこのときこうしていたのは良かった。

 

そう思えるように、資格を取るんです。

絶対取るんです。

 

 

今はただ暗い気持ちだけが行き交いして、頭も上手く回りません。人生設計も、これからどうするのか。一月後のことだって決められません。

だからせめて、ゴールは決めておくんです。アルバイトをした意味を、ちゃんと。

 

食品衛生責任者

防火管理責任者

 

この2つの技能を、このアルバイト中に必ず取ります

これは約束じゃなくて、自分への決意として書き込んでおきます。

 

ネガティブ思考ながらも、何かを残せたらいいなと思います。

 

以上おたんこレポートでした。

滑稽な備忘録

ここ数日間は特に顕著といえる、絶望というものは些細なことで蓄積されるものだ。

蓄積は決して他者からもたらされるものとは限らない。というのも、自分も自分の仕事のできなさにほとほと愛想が尽きていた節がある。それはもう毎日怒られるものだ、己が悪いことは明白であるにも関わらず、解決できなかったのだ。

全くの無力ではなかったかもしれない。
一つ一つ手を打てば、或いは絶望する必要はなかったかもしれない。

逃げ出した今、帰る場所の無い自分からしてみればそれはもう終わったことと言えるが。

終わりとはどのような事を言うのか。
どうしようもない孤独か、生きていくために必要な仕事を投げ出したことか。

なんにせよ、少なくとも自分にはもう帰る場所などどこにもないのだ。

自業自得

という言葉があるように、己で巻いた種であった。甘えていた、自覚が欠けていた。

全て職場の先輩に言われたことだ。
曰く、自分はサボりすぎだったらしい。頑張っている自分に酔っているだけの無能、それが評価だった。

自分は決して、最善を尽くせているとは思っていなかったし、最善とはなにかもわからなかった。
タイミングの問題か、責任者が自分しかいない店舗で行う業務や営業は穴だらけで、クレームの嵐。
本部からも提出物の期限がとうに切れているといくつもお達しをもらっていた。

勿論、先輩に毎回毎回聞けば良かったのだ、それが正解だった。
ただ、電話するたびに期限の悪い先輩が怖かったし、怖いという自己の都合により仕事を遅らせていることも大概酷いものであった。

自分の文章には何が伝えたいのか、何を言いたいのかまったくもってわからない。お前はなんだ、お前はどういう人間だと聞かれた。

何故仕事をしない、何故サボる。
何故後回しにする。

その問に対する答えはわかっていた、「怖かった」のだ。

先輩に、一度だけ聞くのが怖かった、恐ろしかったと伝えたことがある。

その時の先輩は
「俺はお前がなにかやらかした時以外怒ったか?なぁ?怒られたくなかったらきっちり仕事こなせ」
と言っていた。

ああ、たしかにそうだ。自分がミスや仕事の遅れを生むからこそ先輩は怒っていたんだ。
でも、こうやって質問をするたびに怒っていたことも事実だ。

これは甘えや自己中心的考え方に等しいため、正義だなんて言えたものではないが辟易としていた。

自分は、逃げ出した。
死ぬつもりだったが、今こうして文章なぞ打ち込んでいる。

死ぬ、怖いがこれから先の人生怒られながらも成長していく自分の姿は見えなかった。
職場に行く時だけではない、心休まらぬ生活が己の卵豆腐じみたやわい心では持たなかったのだ。

薬もオーバードーズに使い切り、もはや手持ちはなかった。
病院を予約もできていなかった、する気力も時間もなかった。
本当に時間がなかったのだ。

家に帰り、風呂にも入らずに眠り。
朝起きればシャワーを浴びすぐさま職場へ行く。

これは仕事ができない人間からすれば当たり前だったようで、自分も決して一人で予習復習している時間が嫌だったわけではない。
ただ、純粋に、単純に、意図など無く、疲れた。

自分はこれから、インターネット掲示板で知り合った身元も顔も年齢すらも知らぬ誰かの家に行く。
そいつがおかしな輩であれば、殺されるかもしれない。拷問でもされるかもしれない。

怖いが、あの家と職場に戻るのはそれ以上に恐ろしい、ただそれだけのことだった。


結局自分の人生は、あいも変わらず逃げて逃げて逃げて逃げて…。
その果に何があるのか、とっくに知っているくせに。


自分は、情けなく、そして会社や親や友に迷惑を掛ける明確な「悪」である。


悪は裁かれるものだ、裁かれる日もそう遠くはないだろう。
これは、逃げた自分に対する戒めと備忘録を兼ねた文章。

結局のところ、先輩の言ったとおり自分は何を伝えたいのかもよくわからない、l口先だけの空っぽな言葉を並べているに過ぎなかった。それはこの文章のみならず。Twitterやブログ、恐らくチャットや業務メールに至るまで全ての事柄に言えるのであろう。

自分の死にたいだって、嘘だ。
ただ、生きたくないだけだ。

さようなら。

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まぁなんやかんやあって、自分は今も会社づとめをしているわけで。ただ、変化もあれば今までと違う意識も持ち始めていて。

こんばんにー、おたんこなすです。

久々の投稿ですが、今までの久々と異なり生活に色々と変化が生まれました。

 

自分は一時期ニートで、うつ病で、この世を地獄でも見てるんじゃないかという眼差しで見つめていました。

いや、実際この世界が天国だなんて思ってもいないですが、地獄でないことはわかってきました。

自分は色々”触りだけ”はチャレンジし続けてきました。ゲーム然り、バイト然り、その他然り。しかし、その中で漠然とあってもはっきりとはない「やりたいこと」を探し続けていました。そして、去年見つけました。

 

焼肉屋が好きです。

自分のお店を持ちたい、常連さんを得たい、お金を稼ぎたい。楽しく働きたい。

常々思っていたことです。

 

そして、僕は今中小企業の雇われ店長になれそうなところまできました。営業の基礎は勿論経営のやり方や売上高の計算方法。

沢山勉強することはありますが、自分の夢に少しだけ近づいていることがわかります。

 

それがちょっとずつの自信にもなっていますが何よりも大事なのが、生きがいになりつつあります。

自分がやりたいことへの組み立て、設計段階だった夢に今手が付き始めました。

 

とは言ってもまだ土台も土台、土地を購入したばっかりみたいなもんです。

このさき僕は、自分のお店を建てます。そして、上司や後輩といった概念に囚われることもなく自分のやりたいお店とお客様のニーズに合わせた妥協案を重ね愛すべき店舗を生むのです。

 

生みたいじゃない、生むんです。

それが自分がこの世界に生まれた理由、やりたいこと、自由への態度なのです。

 

今はまだ先輩方にたくさん怒られますし、バイトにも舐められますし、惨めで滑稽な思いもします。

でも、それも全て自分の経験になり、血となり肉となり、たまに喜びになりますから。経験ってやっぱり大事なんですよね。

学生時代、嫌なすべてから逃げ続けた男ですが僕は今逃げる事の対価を経験し、挑戦し成長することの喜びや価値を経験しているんです。

 

失敗も成功も経験している、これって成功だけを経験しているよりもずっと強くないですか?自分はそう思っています。

愚者なので、とことん経験から学びます。

 

もし、これで今の会社をやめてしまっても、途中で逃げ出しても、別にいいです。その時どうなるか、どんな対価が待っているのかは想像できます。

だって、ニート脱却のために必死こいて仕事探してましたもん。それだけじゃなく、職歴が付けばそれもデメリットになりうりますから。

 

たらたらとよくわかんねーこと書き綴りましたけど結論から言いますと、自分は今自分の為に努力していて、その努力を決して面倒だとは感じていないんですよね。

 

生きることは劇的です。

 

 

以上、実家よりおたんこれぽーとでした。

ツイ垢消しちゃったんだね

生きてたら、それでいいのですが…。

 

自分は、勝手ながらこの世界に苦しむうちの一人だと思ってました。

 

自分と同じように、辛くて苦しくても、もがいて生きていて。

 

僕は結構好きでしたよ、生きることはとても苦しく形容し難い感情を生みますが、同時に決して否定のしようもない幸せも得ることがきっと出来ますよ。根拠なんか何も無いですが、そう思ったほうがきっと楽しい。

 

心の持ち用、なんて言ってしまうとすごくチープですが…。大切な事で、きっと幸せになるにはそれが必要なんです。

 

喜びも悲しみもここで意味が生まれるんですよ。

ケチャワチャ

ケチャワチャって知ってます?

初めて見たときから顔が凄く怖くて、動きも不気味で気持ちが悪かったの。

会社だとか、友達だとか、俺は人と関わる場面では特に、その、生きている上で絶対に大切にしてることがあって、それは保身なのだけど時折ミスを犯して声を荒げて怒られることがある。

その時、背筋が凍って、見てはいけないケチャワチャが見えてしまう。